コラム

「こだわり」について思うこと

どぐらさんの話

最近、プロ格闘ゲーマーの「どぐら」さんの動画をよく見ている。どぐらさんは関西人らしい軽妙なリズムで格闘ゲームのことを面白おかしく話すので、格闘ゲームのことをあまり知らなくても、どぐらさんの動画は楽しく見ることができる。

どぐらさんの動画の中で秀逸なのは「クソキャラ列伝」シリーズ。これは古今東西の格闘ゲームから「著しく問題があるキャラクター(クソキャラ)」を紹介するものである。特に、クソルさんという方が講師になった「戦国BASARA X 毛利元就」「UMVC3 クソルチーム」の回にはゲラゲラ笑わせてもらった。

ケンヂ博士
ケンヂ博士
元就、ひどすぎるwwww

ぼくと格闘ゲーム

ぼくが小中学校に通っていた時代、その頃は格闘ゲーム黎明期だった。当時は格闘ゲームが信じられないほど流行っていた。だから、(あの時代の子どもたちはみんなそうなのだけど、)ぼくはある程度、格闘ゲームに詳しい。もう何年も触っていないが、実はアーケードコントローラー(ホリのリアルアーケードプロV3)も持っている。CPU戦くらいしかやらなかったのだけど、独身の頃はたまに遊んでいた。今はもっぱら動画勢(自分はプレイせずに、他の人のプレイ動画を見る専門の人)である。

ぼくらの時代の格闘ゲーマーはカプコン派(ストリートファイター派)か、SNK派(キングオブファイターズ派)かで派閥が分かれるのだけど、ぼくはSNK派だった。90年代後期に中学生だったぼくらにとって草薙京と八神庵はカッコ良すぎたのだ。中二病マインドを猛烈に刺激するよね。

ケンヂ博士
ケンヂ博士
「月を見るたび思いだせ」は名台詞。

SNKは一時期、倒産したり、パチスロばかり作る会社になってしまったりしていたのだけど、近頃は真面目に格闘ゲームを作っているらしい。KOF2002UMとかKOF XIIIはぼくも独身の頃に少しプレイした。最近はキングオブファイターズXVとか、サムライスピリッツの新作とか、餓狼伝説の新作とか、いろんなゲームをリリースして頑張っているみたいだ。

ただ、最近はストリートファイターシリーズの最新作「ストリートファイター6」がめちゃくちゃ流行っているらしく、SNK陣営はだいぶ押されているらしい。だけど、一度は衰退した格闘ゲームがまた流行しているのだから、SNKが再び日の目を浴びることもきっとあるだろう。

「勝ちやすいキャラを選べる」という才能

さて、どぐらさんは格闘ゲームの才能の一つとして、「勝ちやすいキャラを選べること」を挙げている。簡単なことのように思えるかもしれないけど、この点でいうと、ぼくには格闘ゲームの才能はないと思う。

格闘ゲームというものには多数のキャラクターが出てくるが、ゲームを面白くするためにキャラクターの差別化をしようとすると、どうしても強いキャラと弱いキャラができてしまう。「パーはグーに強く、グーはチョキに強く、そしてチョキはパーに強い」というような、誰がトップでもない、微妙な力関係があれば良いのだけれど、大概のケースでは「結局、〇〇が1番強い」ということになりやすい。もちろんプレイヤー側の人間性能もそれぞれ違うわけで、「誰でも最強のキャラを使うのが1番勝ちやすい」ということにはならないのだけど、勝ちたいなら基本的には性能的に上位のキャラクターを選ぶのが普通である。

でも、昔のぼくには「とにかく流行に抗いたい」という悪癖があったので、「強いキャラを使うやつ=おもんないやつ」みたいなレッテル貼りをしてしまいがちだった

ケンヂ博士
ケンヂ博士
こういうレッテル貼りって無意識的やねんな。

将棋とぼく

すこし話は変わるけど、ぼくは2015年に将棋を始めた。ヨーヨーやジャグリングといった「1人で遊ぶ系の遊び」に没頭していたぼくにとって、将棋という対人ゲームはとても新鮮なものだった。

将棋にはいろいろな戦法があるのだけど、天邪鬼なぼくはある戦法を7年ほどやり続けた。それは昔、一世を風靡した戦法で、アマチュアからの人気が高いとされる戦法なのだけど、現代将棋の世界では弱いとされている戦法だった。どぐらさんの言葉を借りるなら「よわキャラ」である。ぼくはその「よわキャラ」的な戦法を使い、そして負けまくった。賢さには少なからず自信があったので、悔しくて将棋を指しまくった。

いま冷静に考えると、始めた頃の勝率は4割5分くらいだったのだけど、すごく負けが込んでいた印象がある。一説によると、どうやら対人ゲームは勝率が7割か8割かくらいないと、勝っているという実感を持てないものらしい。対人ゲームにおいて「敗北」のストレスは凄まじいので、その分、勝った時の高揚感もすごくなる。優れた対人ゲームはジェットコースターみたいに気持ちが上下する。その感情の激しい揺さぶりで、ぼくは将棋にハマっていったのだと思う。

ケンヂ博士
ケンヂ博士
これ、ギャンブルにハマるのと同じ心理やねん。

将棋の世界では「一つの戦法にこだわることが大事」みたいなアドバイスがある。途中から、ぼくはその「よわキャラ」的な戦法が自分に合っていないのではないかと薄々感じていたのだけど、ぼくはそのアドバイスを盲信し続けた。それはヨーヨーの世界で出会った人たちの中で、輝いていた人は皆、「こだわり」を大切にしていたからだった。

でも、うまくは説明できないけど、たぶん「良いこだわり」と「悪いこだわり」というものがあるのだ。将棋の世界で弱い戦法に固執するのはきっと「悪いこだわり」だ。ぼくは「悪いこだわり」を捨てるのにかなり長い時間を掛けてしまった。アホである。

最近は育児が忙しくて+1Aヨーヨーが楽しくて、将棋をする時間がなくなってしまった。ただ、最近、どぐらさんを見て感じるのは、ぼくには「対人ゲームで勝つこと」に対するセンスが欠如しているということ。ぼくは「対人ゲームはやっぱり向いていないなぁ」、そんな単純なことに気づくまで何年もかかった。だいぶ遠回りだったけど、それがわかってよかった。

マジックザギャザリンングの話

もう一つ、昔話。10年か、もしかしたらそれ以上前のことだけど、あるヨーヨープレイヤーたちが「マジックザギャザリンング」というカードゲームの話をしていた時のこと。

ぼくはカードゲームのことは全くわからないのだけど、彼らの言っていたことをまとめるとこうだ。「現在の環境では単純に力を上げて殴る、ビートダウンという戦法が流行っている。しかし、ビートダウンには華麗さがない。複数のカードの効果を上手く組み合わせる、コンボ(という戦法)こそが至高。コンボを主体としたデッキが活躍できた昔は良かった。」

……もしかしたら、彼らも対人ゲームのセンスがないのかもしれない。ぼくと彼らはよく似ている。いま思うと、彼らも別の分野では「悪いこだわり」を発揮してしまうことがあったんだろうな。知らんけど。

レールVSゴチャ論争について今思うこと

ぼくが昔いたヨーヨーコミュニティでよくあった話なんだけど、「レールコンボはみんな同じで、イージーなのでつまらない。構造美と独創性を併せ持ったゴチャ系のテックコンボこそが至高」みたいなことをいう人がいた。逆に、「ゴチャ系のテックコンボなんて意味不明で、加点が取れない。流れるような動きのレールコンボを綺麗に決めることこそが勝利への近道。」みたいなことをいう人もいるだろう。

オッサンになったぼくは「どっちの意見(=こだわり)も極端なだけで、間違ってはない。そのままだと矛盾しちゃうけども。どうにかして2つの意見のバランスを取れないか?」みたいなことを考える。近頃のぼくはプライベートでも仕事でも、そういう塩梅ばかり考えて暮らしている。

「俺たちは正しくて、あいつらは間違っている」、あの頃のぼくらはヨーヨー界に対してそんなことを言っていた。そういうことを気軽に言っちゃえるのは若者の特権だけど、きっと愚かさでもある。世の中はそんなに単純なものなんかじゃない。あの頃のぼくらは若かった、そしてバカだった。

オッサンは若者のバカさを直視できなくて目を背けたくなる時もあるし、逆に羨ましくなる時もある。なんなんだろうなぁ、この感覚。「40歳にして不惑」なんて言葉もあるけど、戸惑ってばっかりだぜ。

結局、何が言いたいかっていうと「悪いこだわりを持っていると損するぜ」ってこと。これは多分、どのジャンルでもそうだ。文章にまとまりがなくなってしまったので、おしまい。

ABOUT ME
ケンヂ博士
高橋 健治。某工業高専出身のアラフォー工学博士。 東北生まれのエセ関西弁話者。研究者として日系メーカーに10年以上勤務。数学、制御工学、電気工学、パワエレ、プログラミング、ヨーヨー、将棋などがそこそこできるマルチプレイヤー。大阪府の端っこで、お嫁様+2人の娘たち+4匹の金魚.etcと暮らしている。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です